素人のお客様にきちんと「良さの裏付け」を提供しよう
先日、いつもの美容院よりもちょっと値段の高い美容院に行きました。
特に不満はなかったのですが、逆に満足もありませんでした。
髪の仕上がりも普通ですし、ここが良い!というところもなく、これだったらいつもの美容院で十分なのでは...と感じました。
しかし、もしかしたら私は「素人」なので、その店のカットの技術や細かい仕上げの良さは素晴らしいのにその違いに気付いていないだけ...かもしれません。
だとしたら、非常にもったいないことです。
ほとんどのお客様は(企業であろうと個人であろうと)素人です。
「ここが良いんです」「ヨソではこれはできません」と言ってくれないと、その良さはわかりません。
「わかる人にはわかる!」「黙ってワザで勝負!」「良さをいちいちアピールしないのが美徳!」という気持ちもわからなくもありません。
しかし、そういった良さや違いが「わからない」ままになり、「なんだ、大したことないな」と思われてしまうのは非常にもったいないことです。
「良さ」「優れた点」「他との違い」は一般のお客様にはわかりにくいものです。
だからわかりやすく「ここが良いんですよ」と教えてあげましょう。
営業は「説明」してはいけない
先日、ある店頭で商品のメガネを見ていたときのこと。
私が店頭を見始めると、店員さんが話しかけてきました。
「お客様、このフレームは~で、通常○万円が当店だと○万円なんですよ。他にもブランド○○は○○円、ブランド××は××円、そしてこちらは…」
こんな体験はあなたにもあるのではないでしょうか。
この段階では、私はメガネを見始めたばかりです。
どの程度興味があるのか、たとえば
・すでに買う気がある
・買うことを検討していて詳しく聞きたい
・なんとなく覗いてみただけ
...以上のどの状態か、店員さんは把握していたでしょうか?
もちろんしていません。そして「お客様だ、お得感を説明してアピールしなきゃ」となってしまったのです。
営業で重要なのは、まずそもそも「聞いてもらえる状態を作る」ことです。
簡単に「共感」と言ってもいいでしょう。
通常、買い手側は「押し売りされたらどうしよう」「高いのを買わされないようにしないと」という警戒感があります。
そこで性能やお得さをアピールしても「いや、だまされないぞ」とガードが固くなるだけです。
営業は、まずは「この人の言うことなら信頼できるな」という共感を得るところから始めましょう。
商品よりも「売る場所」を変えてみよう
”日本一の長さが体験できるフード&スイーツ専門店が原宿にオープン”というタイトルのニュース記事がありました。
これを見た、ある台湾の人の一言。
「台湾だったらそこらの夜市で売っているものばかり。原宿だとおしゃれフードになるんだな...」
反対に、私が約15年前に台湾に行ったとき、ミスタードーナツが台湾で営業開始したばかりでした。
ミスタードーナツに2-3時間待ちの大行列ができていて、「ミスタードーナツにそんなに並ばなくても...」と思ったのを思い出しました。
商品自体はありきたりでも、売る場所が変われば、新たな価値を生み出します。
商品をリニューアルすることは大変ですが、「売る場所」や「売る相手」を変えることはそれほど大変ではありません。
商品の売れ行きが低調なときは、リニューアルや広告宣伝よりも、どこだったらもっと売れる?誰相手だったらもっと売れる?を考えた方がよいでしょう。
社員の育成・昇進は「階段」か「はしご」か
あなたの会社では社員をどのように育成・昇進させていますか。
日本語では「出世の階段」などという表現をします。
一方、英語ではmove up the ladder、つまり「はしごを登る」と表現します。
階段とはしご、このあたりに日本語文化圏と英語文化圏、特に日本とアメリカの違いが出ているように感じます。
「階段」ならば、上がっていくのがさほど大変ではないですし、時間さえかければ誰でも登れます。複数人が同時に上がっていくこともできます。
それに対して「はしご」は急なため、登るのが階段よりも大変です。じっくり時間をかければいいというわけではなく、反対に登れたら一瞬で上にいきます。また、階段と違い、複数人が同時に登ることはできません。
日本式の「階段」での昇進に慣れていると、「はしご」を使う人・会社にあっさり追い抜かれる可能性があります。
あなたは社員や部下を育成・昇進させるとき、「階段」でしょうか、「はしご」でしょうか。
階段のように一律に成長してほしい...と思う気持ちはあるでしょうが、現実はそうもいきません。社員の中には「成長度合いがすごい、今や自分の右腕」という人から、「成長は見込めない、最低限の単純作業をしてくれればいいや」という人までいるのが現実ではないでしょうか。
特に中小企業では、ときには「彼/彼女ははしごを登らせる」という抜擢も必要です。
そのような抜擢に値する人は、階段式の昇進だと、「なぜ私があの人たちと同じ昇進スピードなのだ」と、かえって力を持て余すかもしれません。
昇進は階段とはしごを使い分け、特には思い切って抜擢することも大切です。
問題の原因を「気持ち」にしてはならない
少し前に、テレビのバラエティ番組で、タレントが黒塗りメイクをしたことに対して「黒人差別ではないか」という声がありました。
私はそうした分野の専門家ではありませんし、この件に関してどのような考えが正しいといったことを論評する気もありません。
ただ、一つ気付いたことがあり、これはビジネスや社員育成でも共通なのではないか、と感じました。
この件について差別だと感じる人の意見の多くは
「このような『行為』をすることは差別だ」
と主張しています。
それに対して差別ではないと主張する意見の多くは
「このような行為に差別をする『意図』はないから差別ではない」
と述べています。
「行為をしたから差別だ」「いや、意図はないから差別ではない」
これでは意見が交わるはずがありません。
これもあくまでも私の主観ですが、日本は諸外国(特に欧米)に比べて、行為といった「事実」よりも「気持ち」に重点が置かれている気がします。
だから差別とは差別をする「気持ち」の問題であり、極論すればどんな行為をしてもそこに差別をする「気持ち」がなければ差別ではない...という結論になるのです。
欧米では「人の考え方はそれぞれである」という前提で物事が設定されています。だからマニュアルにも「床をモップで綺麗にしましょう」ではなく「洗剤液を2L用意し、モップをそれにつけて、3回絞り、床を2往復して拭きましょう」と具体的に指示がなされます。「綺麗にする」は人それぞれ基準が異なるからです。
裏を返せば、欧米では主観・気持ちという文字通り「気の持ちよう」で判断せず、「何をしたか、しないか」が判断基準になるのです。だから「気持ちがどうだろうが、黒塗りという行為自体がダメ」なのです。
一方、日本ではどちらかというと「気持ち」に主眼が置かれがちではないでしょうか。成果ではなく「あの人はがんばっているから良い・態度が悪いからダメ」などと言われがちです。失敗の原因も「やる気がない」「たるんでいる」などの精神論に置かれがちです。
社長を含め、社員全員が間違いなく同じ価値観・同じ気持ちであると断言できるなら、「気持ち」で社内をマネジメントすることも可能かもしれません。しかしそれは不特定多数の人が集まっている会社という場では難しいでしょう。
何か問題が起きたら「気持ち」という主観的なものではなく「行為」を見なければなりません。その行為が不適切だったら適切にする、行為を知らなかったら知らせる...と行為に焦点を当てます。そこで「お前がたるんでいるからダメなんだ」と気持ち論にしてしまっては、その問題は解決されません。
社員の「気持ち」ではなく「行為」を見ましょう。
わかりやすいフレーズに要注意
最近、「働き方改革」というフレーズをよく見聞きします。
ではどのようなものか?と中身を見ると使う企業や団体によってバラバラです。
せいぜい「残業を減らそう」「休日出勤をやめよう」といったことを「働き方改革」と言い換えているだけ。
これが「一日の労働時間を半分にしよう」「今の労働を機械に置き換えて労働者を3分の1にしよう」といったことだったら、”改革”だというのもわかります。
しかし現状は労働の効率や環境の「改善」、もっと言えば「正常化」のようなものです。
つまり、「異常」だったことを「正常」にしているだけ。
それが「働き方改革」というフレーズに包まれると、なんだか特別で、時流に乗ったことをやっているような気がしてしまいます。
「クールビズ」もそうですね。日本の気候だと長袖スーツは暑すぎるから、ノージャケット・ノーネクタイで仕事をしよう、という「ごく当たり前」のことをしているだけです。
それが「働き方改革」「クールビズ」というフレーズをお上が発すると、まるで許可が与えられたかのように、今度はそちらの一方向に向かっていきがちです。
「今の時代は/これからの時代は○○だ」
このようにわかりやすいフレーズが使われるときこそ、要注意です。
(今だったらAI、自動運転、ブロックチェーンなどかもしれませんね)
ワンフレーズではなく、それは一体なんなのか?と自分の言葉で説明できるでしょうか。
そう考えると実は、働き方改革と言いつつ「無駄なだらだら勤務をやめよう」というだけのことかもしれません。
わかりやすいキャッチフレーズを使いたくなったときこそ「それって何?」「それは私たちにとって大事?」と踏みとどまって考えましょう。
プレゼンはプレゼント
研修でプレゼンテーションを指導することがよくあります。
プレゼンテーションの研修で見られる一番の誤解は、プレゼンテーションを「うまく話すこと」だと思っていること。
プレゼンテーションも手段と目的から考えてみましょう。
プレゼンテーションの目的とは何でしょうか?
「この人のプレゼン、うまいなあ。」と思われることでしょうか。
そうではないですよね。
商品のプレゼンなら、その商品に興味を持ち、「面白そうだ、記事を書こう」とか「ぜひ買いたい」と思ってもらうこと、そして実行に移してもらうこと。それが目的です。
ということは、プレゼンのゴールはそのような気持ちと行動を引き起こすことであり、必ずしも「うまく話すこと」が条件ではありません。
そのため私はよく「プレゼンはプレゼント」と言います。
高価なプレゼントだから喜ばれるとは限りません。相手が喜ぶものを、喜ぶタイミングで、喜ぶ包装で渡してこそ、最適なプレゼントになります。
プレゼンもそれと同じで、「完璧なプレゼン」があるわけではありません。
相手の気持ちと行動に望ましい変化を起こしたら、成功なのです。
また、プレゼンを「自分の主張を伝えるもの」というのも少し誤りです。
(テレビの影響かもしれませんが...)
プレゼンの主役は相手、あくまでも聴衆です。
むしろ「聴衆の疑問に先回りして答えること」が重要です。
プレゼン側「このスマホはカメラ画像が今までの2倍きれいになりました!」
聞き手側「(それはなぜだろう?」)
プレゼン側「なぜかというと、それは...」
これがあるべきプレゼンの姿です。「かゆいところに手が届く」と言ってもいいでしょう。
プレゼンをする際は、話し方のうまさやスライドのきれいさよりも
「聞き手にとってよいプレゼントになっているだろうか?」
「聞き手の疑問や不安について先回りし、かゆいところに手が届く内容になっているだろうか?」
を気をつけるとよいでしょう。