給料アップと従業員のやる気の関係とは
「幸本さん、従業員のやる気を高めるためには給与やボーナスを上げるべきなのでしょうか」
「先日、臨時ボーナスを出したのですが社員がさほど喜んでいるように見えないんです。どうしてでしょうか」
賃金に関するご相談はとても多く寄せられます。
給与の制度や水準はこうやれば正解、というのがあるわけではありませんし、他社がいくらなのかもよくわかりませんからね。お悩みになるのも無理はないと思います。
特に「お金と従業員のやる気・満足度」の関係についてはよく聞かれます。
従業員のやる気を高めるためには、高い給料が必要なのでしょうか?
これには半分Yes、半分Noであると言えます。
人はきれいごとでは動きません。ある程度の給料が必要なのは間違いありません。
お金を出さずに従業員を他社の2倍働かせよう、なんて考えがうまくいくわけがありません。
では、給料が高ければやる気は高まるのでしょうか。
もちろん給料が世間の水準の2倍、3倍あれば別格でしょう。それは不可能としても、現実的な範囲で給料を上げれば社員のやる気や満足度は高まるのでしょうか。
よく私はこのようなたとえ話をします。
「飲食店で、料理やサービスが良くても、トイレがすごく汚いと、この店はイヤだなってなりますよね。その反対で、トイレがすごく綺麗だからこのレストランに行こう、とはなりませんよね。お金もこの飲食店のトイレと同じで、『マイナスの要因』にはなるのですが『プラスの要因』にはなりにくいんですよ」
つまり「給料3万円ダウン」による気持ちの浮き沈みが「マイナス100」だとすると、「給料3万円アップ」してもプラス100にはならず、せいぜいプラス20程度なのです。
※数字は根拠があるわけではなく、あくまでイメージです。
給料にせよボーナスにせよ、お金は一時的な喜びにはなりますが、長期的なやりがいや意欲にはつながりにくいことが研究などでわかっています。
お金だけでなく「仕事ぶりをしっかり見て評価すること」「自分や会社に長期的な展望があること」の方がやる気につながるのです。
そう考えると、これらの施策は「給料アップ」よりもむしろ難しいことがわかるのではないでしょうか。
従業員とお金の関係について、この「飲食店のトイレ」理論は覚えておいて損はありません。
欠けている部分に気を取られていませんか
あなたが上の画像を見て、どこに目が行きますか?
おそらく右の欠けた部分ではないでしょうか。
「ドーナツが(本来の8割以上は)ある」
ことよりも、
「ドーナツが欠けている」
ことの方に意識が行くはずです。
このように人間は、どうしても欠けているもの・足りないものに目が行きがちです。
そのため「8割できている」部下に対して、そこを褒めずに「2割できていない」部分を指摘、注意してしまいます。
しかしそれよりも大事なのは「8割できている」ことの方ではないでしょうか。
だからそのようなときは
「あなたの(2割の)ここがダメだ」
ではなく、
「あなたの(8割の)ここが素晴らしい。残りの2割を伸ばせばさらにもっと良くなる」
という指導をすべきです。
つい「欠けている部分」「足りない部分」を指摘したくなりますが、それよりもまず「できている部分」を褒めるところから始めましょう。
手段と目的を混同しない
私はビジネス研修を提供しています。
研修の目的は様々ですが、
「社員が成長すること」「それによって所属企業にメリットをもたらすこと」
などが挙げられます。
「研修を受講し、理解すること」自体は手段であって、目的ではありません。
しかし、人はつい手段と目的が逆になることがあります。
一例として、研修で様々なフレームワークを指導した後のこと。
このような場合、受講者はつい、「フレームワークを使うこと」が目的化してしまいがちです。
フレームワークを指導した後、受講者が
「機械の不具合の原因」をフレームワークの○○で整理した、と教えてくれました。
しかし、その機械の不具合は年に数件あるかないか。
だったら、わざわざフレームワークを検討しなくても、その不具合を列挙してくれたほうがはるかにわかりやすくなります。
フレームワークは手段であり、目的ではありません。
このように、何かの行動を起こす、たとえば「名刺を作る」「新規開拓の営業を行う」「採用の広告を出す」といった場合、
「この目的はなんだろうか?」
と考え直してみることが大切です。
そのツルハシ、本当に金を掘れますか
「ブログで集客!」などと言われたら「そうか、やってみようかな」などと思う方もいると思います。
しかし、それで儲かるのはそのセミナーを行う講師だけ...という笑えない話もあります。
「ゴールドラッシュで儲かったのは金を掘った人ではなく、ツルハシを売った人」
とよく言われます。
本当にそれで金を掘れるなら、売り手も買い手も両方ハッピーになります。
もしも売り手は金が取れるかどうかをまったく知らずに「ここで金が掘れますよ!ツルハシを買いましょう!」とウソをついて売っていたら...?
「でも実績もあるみたいだし...」
その実績、成功率は何%でしょうか?100人にひとりのたまたまの成功を誇張していませんか?そもそもその実績は本当ですか?
「○○で集客!」「必ず儲かる!」「あなたの仲間がこんなにいます!一緒にがんばりましょう!」などというサービスに頼りたくなる気持ちもわかります。
しかし最後に大事なのは結局、「自分で考え、自分で決断する」ことなのです。
それには一発逆転はなく、地道に考え、コツコツ実行するしかありません。
「これさえやれば」的な商品、サービスに引っ張られそうになったら注意しましょう。
無意識の専門用語に気をつけよう
私が化粧品ブランドの会員組織(メンバーズカードとかを作ってポイントがたまるアレです)の運営を担当していたときのことです。
年に一回、「リクルーティングキャンペーン」という、お客様に入会を促して入会者数を増やすキャンペーンを行っていました。
ある日、店舗のスタッフからこう言われました。
「リクルーティングキャンペーンって、就職活動をしている学生向けのキャンペーンだと思っていました...」
このスタッフはリクルート=就職活動、という意味だと思っていたのですね。
このように自分の使う言葉=誰もが知っている言葉だと思うと、思わぬ失敗をすることがあります。
私はマーケティング研修で、「商品」に対しての「サービス」という言葉を使いました。
経済学などでは、ざっくり言うと値段がついている形があるものを「商品」、形がないものを「サービス」と言います。美容院のヘアカットやマッサージなどがわかりやすい「サービス」ですね。
このように「形のない財」という意味でサービスという言葉を使ったのですが、どうも受講者と話が噛み合いません。
受講者はサービスを「店員のサービスがいい」「もう1個サービスしておくよ」などの意味、つまり「相手に対する奉仕」として理解していたのでした。
これは「サービス=形のない財」という意味だとすべての人が思うはずだ、という私の思い込みの失敗であり、うかつでした。
このように、自分の使う言葉が誰でも意味を知っている、理解している言葉であるとは限りません。
明らかな専門用語ならば気をつけることができるのですが、上記のような例はなかなか人に指摘されないと気付きません。
常に「他者目線」を持ち続けたいものです。
「質問」が「詰問」になっていませんか
ある年下のコンサルタントから、こんな相談を受けました。
「取引先の社長に、コンサルを開始するに当たってヒアリングを行ったんです。初回なので、現状について詳しく聞こうとしました。すると徐々に表情が険しくなっていったのです。最後は不機嫌になって怒られてしまいました。私はただヒアリングをしただけで、失礼なことは言っていないつもりですが」
私がその場にいたわけではありませんが、なんとなく社長が不機嫌になった理由は想像できます。
私たちコンサルタントは「事実」を大事にします。
「事実」があいまいなまま、「なんとなくこうなのでは」「前はこれでうまくいったから」などと助言することは絶対にありません。
そこで、ヒアリングでも「事実」を正確に聞き取ろうとします。
ところが、人は質問の内容や聞き方によっては、単なる「質問」を「詰問」と捉えてしまうのです。
たとえば以下のような会話があったとします。
社長「あの新製品は売れなくってね...」
コンサル「なぜ売れなかったのですか?」
このコンサルタントは売れなかった理由や原因を聞き取ろうとしただけで、悪意はありません。
しかし、社長はこう考えるかもしれません。
「なぜ売れなかったって、そんなことがわかれば苦労しないよ!」
「失敗の嫌な思い出を蒸し返すなんて!」
「恥を晒せというのか!」
単なる「事実の確認」が、社長にとっては「問い詰められた」ように感じてしまうのです。
私も似たような経験があります。
質問に対して「~だと思った」「~と感じた」と主観ばかりを話す方がいたので、
「そうお感じになったのはわかりました。では、お気持ちと切り離して、事実のみを教えていただけますか?」
という趣旨の質問をしました。すると、
「そういう風に感じたのは事実じゃないっていうのか!私が感じたことは事実だ!!」
と立腹されてしまったのです。
コンサルタントにとっては主観(例、人がたくさんいる)と事実(例、人が100人いる)は切り分けるクセがついています。
しかし「(主観ではなく)事実を教えてください」と言ってしまったことにより、
「私の言っていることが事実じゃないっていうのか!ウソだと言いたいのか!」
という反応になってしまったのです。
また、こちらの何気ない質問が、相手にとっては「問い詰められている」という感覚になることもあります。
たとえば「なぜ?を繰り返すことが大事」だとよく言われます。
そのため私も「あなたにとって大事なことは?...効率化が大事だと思うんですね。では、なぜ効率化は大事なのでしょう?」と、なぜ?それはなぜ?と繰り返し聞くことがあります。
しかしこれも慣れない人には「質問攻めにされている」という印象を持たれることがあるので、注意が必要です。
質問が詰問にならないよう心がけて実行しているのは、質問の前に「クッション言葉」を入れることです。
「答えにくい質問かもしれませんが...」
「ご存じなかったら構わないのですが..」
「参考までお聞きしたいのですが...」
「ご自身のお考えでけっこうですので...」
など、答えやすいようにワンクッションを入れるのです。
そのパターンは様々ですが、相手に「問い詰められているわけではない」「単なる質問であって、聞き手に責めたり非難したりする意図はない」と安心感を持ってもらうようにすることが大切です。
減らすカイゼンより増やすカイゼンを
ある研修で
「ご自身や部署のカイゼン策を考えてみてください」
という課題を行ったときのことです。
そこで提案されたカイゼン策の9割以上は「削減策」でした。
たとえば、
・4人でやっていた業務を3人でやる。
・3日かかっていた業務を2日で行う。
・100万円かかっていた業務を80万円に収める。
といった具合に、です。
どうしてもみなさんカイゼンというと「減らす」方向、削減で考えてしまう傾向があるようです。
しかし、仕事というのは「インプットとアウトプットのバランス」が重要です。
だから削るばかりではなく、
「100万円かかっていた業務に1.2倍の予算、120万円かける。しかしその成果=アウトプットは1.5倍にする」
だって、立派な「カイゼン」です。
むしろ、削るだけのカイゼンでは、事業が成長したり発展したりする余地はありません。
「より良くしよう」と考えるとき、つい「ムダを削る」方向でばかり考えていませんか。
時間・人・お金といった資源をさらに投下し、投下した以上の成果を生み出す。
これが理想的なカイゼンです。