無意識の専門用語に気をつけよう
私が化粧品ブランドの会員組織(メンバーズカードとかを作ってポイントがたまるアレです)の運営を担当していたときのことです。
年に一回、「リクルーティングキャンペーン」という、お客様に入会を促して入会者数を増やすキャンペーンを行っていました。
ある日、店舗のスタッフからこう言われました。
「リクルーティングキャンペーンって、就職活動をしている学生向けのキャンペーンだと思っていました...」
このスタッフはリクルート=就職活動、という意味だと思っていたのですね。
このように自分の使う言葉=誰もが知っている言葉だと思うと、思わぬ失敗をすることがあります。
私はマーケティング研修で、「商品」に対しての「サービス」という言葉を使いました。
経済学などでは、ざっくり言うと値段がついている形があるものを「商品」、形がないものを「サービス」と言います。美容院のヘアカットやマッサージなどがわかりやすい「サービス」ですね。
このように「形のない財」という意味でサービスという言葉を使ったのですが、どうも受講者と話が噛み合いません。
受講者はサービスを「店員のサービスがいい」「もう1個サービスしておくよ」などの意味、つまり「相手に対する奉仕」として理解していたのでした。
これは「サービス=形のない財」という意味だとすべての人が思うはずだ、という私の思い込みの失敗であり、うかつでした。
このように、自分の使う言葉が誰でも意味を知っている、理解している言葉であるとは限りません。
明らかな専門用語ならば気をつけることができるのですが、上記のような例はなかなか人に指摘されないと気付きません。
常に「他者目線」を持ち続けたいものです。
「質問」が「詰問」になっていませんか
ある年下のコンサルタントから、こんな相談を受けました。
「取引先の社長に、コンサルを開始するに当たってヒアリングを行ったんです。初回なので、現状について詳しく聞こうとしました。すると徐々に表情が険しくなっていったのです。最後は不機嫌になって怒られてしまいました。私はただヒアリングをしただけで、失礼なことは言っていないつもりですが」
私がその場にいたわけではありませんが、なんとなく社長が不機嫌になった理由は想像できます。
私たちコンサルタントは「事実」を大事にします。
「事実」があいまいなまま、「なんとなくこうなのでは」「前はこれでうまくいったから」などと助言することは絶対にありません。
そこで、ヒアリングでも「事実」を正確に聞き取ろうとします。
ところが、人は質問の内容や聞き方によっては、単なる「質問」を「詰問」と捉えてしまうのです。
たとえば以下のような会話があったとします。
社長「あの新製品は売れなくってね...」
コンサル「なぜ売れなかったのですか?」
このコンサルタントは売れなかった理由や原因を聞き取ろうとしただけで、悪意はありません。
しかし、社長はこう考えるかもしれません。
「なぜ売れなかったって、そんなことがわかれば苦労しないよ!」
「失敗の嫌な思い出を蒸し返すなんて!」
「恥を晒せというのか!」
単なる「事実の確認」が、社長にとっては「問い詰められた」ように感じてしまうのです。
私も似たような経験があります。
質問に対して「~だと思った」「~と感じた」と主観ばかりを話す方がいたので、
「そうお感じになったのはわかりました。では、お気持ちと切り離して、事実のみを教えていただけますか?」
という趣旨の質問をしました。すると、
「そういう風に感じたのは事実じゃないっていうのか!私が感じたことは事実だ!!」
と立腹されてしまったのです。
コンサルタントにとっては主観(例、人がたくさんいる)と事実(例、人が100人いる)は切り分けるクセがついています。
しかし「(主観ではなく)事実を教えてください」と言ってしまったことにより、
「私の言っていることが事実じゃないっていうのか!ウソだと言いたいのか!」
という反応になってしまったのです。
また、こちらの何気ない質問が、相手にとっては「問い詰められている」という感覚になることもあります。
たとえば「なぜ?を繰り返すことが大事」だとよく言われます。
そのため私も「あなたにとって大事なことは?...効率化が大事だと思うんですね。では、なぜ効率化は大事なのでしょう?」と、なぜ?それはなぜ?と繰り返し聞くことがあります。
しかしこれも慣れない人には「質問攻めにされている」という印象を持たれることがあるので、注意が必要です。
質問が詰問にならないよう心がけて実行しているのは、質問の前に「クッション言葉」を入れることです。
「答えにくい質問かもしれませんが...」
「ご存じなかったら構わないのですが..」
「参考までお聞きしたいのですが...」
「ご自身のお考えでけっこうですので...」
など、答えやすいようにワンクッションを入れるのです。
そのパターンは様々ですが、相手に「問い詰められているわけではない」「単なる質問であって、聞き手に責めたり非難したりする意図はない」と安心感を持ってもらうようにすることが大切です。
減らすカイゼンより増やすカイゼンを
ある研修で
「ご自身や部署のカイゼン策を考えてみてください」
という課題を行ったときのことです。
そこで提案されたカイゼン策の9割以上は「削減策」でした。
たとえば、
・4人でやっていた業務を3人でやる。
・3日かかっていた業務を2日で行う。
・100万円かかっていた業務を80万円に収める。
といった具合に、です。
どうしてもみなさんカイゼンというと「減らす」方向、削減で考えてしまう傾向があるようです。
しかし、仕事というのは「インプットとアウトプットのバランス」が重要です。
だから削るばかりではなく、
「100万円かかっていた業務に1.2倍の予算、120万円かける。しかしその成果=アウトプットは1.5倍にする」
だって、立派な「カイゼン」です。
むしろ、削るだけのカイゼンでは、事業が成長したり発展したりする余地はありません。
「より良くしよう」と考えるとき、つい「ムダを削る」方向でばかり考えていませんか。
時間・人・お金といった資源をさらに投下し、投下した以上の成果を生み出す。
これが理想的なカイゼンです。
何かを否定したくなったときこそ自分自身を見つめ直す
人間、年齢を重ねると、どうしても頭が固くなります。
そして「自分の常識とは異なるもの」を否定したくなります。
たとえば「Youtuberが小学生のなりたい職業に!」などというニュースを見ると
「Youtubeに動画をアップしてるだけでしょ、バカバカしい。憧れの職業だなんて世も末だ」
と思ってしまいませんか。
とはいえ、冷静に考えると、生まれたときからテレビよりもYoutubeに親しんでいる小学生にとっては、テレビにいつ出るかわからない芸能人よりも、スマホなどでいつでも見られるYoutuberの方が憧れの存在なのかもしれません。
自分の常識や好みと違うからといってなんでも否定してしまうと、新しいことを学ぶことができなくなります。
これはビジネスにおいてももちろん同様です。
私は化粧品のいわゆる高級ブランドに勤務していたのですが、2000年前後くらいまで、
「高級ブランドはWEBサイトを持つべきか」
という議論がありました。
その理屈はこうです。
高級ブランドは限られた一部の顧客を対象にビジネスを行い、そのブランドのイメージのコントロールにも細心の注意を払う。出店も一等地やデパートなどに制限している。
だから、たとえば誰でも目にすることができるテレビCMなどは、対象顧客への到達としても、ブランドイメージの保持としても、ふさわしくない。
広告も、ブランドイメージに合致した雑誌などに制限すべきである。
では、WEBサイトはどうか。
WEBサイトというのは、インターネットにつないでURLを打ち込めば、いつでも誰でも目にできる広告手段である。雑誌などと違い、幅広い人が目にする可能性がある。
だからブランドイメージの保持という点で、高級ブランドはWEBサイトを持たない方がよいのではないか。
…と、このようなことが、本気で議論されていたのです。
今となっては、高級ブランドであろうとなかろうと、WEBサイトがないというだけで逆に大丈夫?と思われてしまいますよね。
おそらく当時は「高級ブランドの情報伝達は雑誌や店舗、プレス発表会など、限られた場所でやるもの。だからホームページなんていらない」という人がいたのでしょう。
それは今の「Youtuberなんて...」という人と同じかもしれません。
自分が否定したりバカにしたくなったときこそ
「私は変化に対応できず、昔に固執してしがみついているだけではないか?」
と振り返る勇気が必要なのかもしれません。
過ぎたるは及ばざるが如し ~ 資料は少ないほどよい
研修やコンサルティング、プロジェクトを行っていると、気付くことがあります。
それは多くの人が
「自分のアウトプット(提出物)の分量が多ければ多いほどよい」
と考えているのではないか、ということです。
特に「報告書」や「提案資料」などでそれを強く感じます。
(私を含め)多くの人が、学生時代は読書感想文やレポートなど、なかなか書けなくて困った経験があるはずです。そこで
文章を書くのは大変 = 文章をたくさん書くのはすごいこと = 良いこと
という”変換”が出来てしまったのかもしれません。
しかし、自分が読む立場で考えてみてください。
1ページの報告書と10ページの報告書、どちらが読む気になるでしょうか?
5ページの資料と50ページの資料、どちらが頭に残るでしょうか?
もちろん、事故調査の報告書など、削ろうにも削れない資料もあるでしょう。
とはいえ、一般にはこういった資料やアウトプットの類は「少なければ少ないほど良い」と考えた方がよいのではないかと思います。
私もどちらかというと「たくさん書いてから、削る」作業の方が多いものです。
大事なのは量ではなく質。
「どうやったら増やせるか?」よりも「どうやったら減らせるか?」
を資料作りでは考えましょう。
人は損をしたくない
こんなクジがあるとします。
1)100%の確率で必ず90万円がもらえる。
2)90%の確率で100万円がもらえる。10%の確率でハズレ、つまり1円ももらえない。
さて、あなたはどちらを選ぶでしょうか。
このようなクジでは、ほとんどの人が1)を選ぶと言われています。
しかし、このクジの期待値は1)、2)いずれも「90万円」で同様です。
それにも関わらずほとんどの人が1)を選ぶのはなぜでしょうか。
人間には「損をしたくない」と考える思考のクセがあり、それは「得をしたい」よりも強いからです。
90%の確率で100万円となれば「ほぼ」もらえる上、90万円より10万円も多いのですが、10%のゼロ円は避けたい...と考え、1)の確実性を選ぶのだそうです。
私たちは何かを売るなど、人の意思を動かそうとするとき、「こんなにいいことがあるよ!」とメリット、得を提示しようとします。
それよりもむしろ「損をするとイヤだから、動かない」という人の方が多いものです。
何かを売りたい、自分の案を通したい、というときは、「これを採用することによって相手がかぶるかもしれない”損”はなんだろうか?」と考え、それをあらかじめつぶしておくことが有効です。
物事には必ず良い面と悪い面の両方がある
私は以前、化粧品の仕事をしていました。
それもあり、ある雑誌の化粧品レビューを読んでいました。
その雑誌は、広告を入れず、本音で評価していることで評判の雑誌です。
化粧品の評価について、このような表現がたくさんありました。
「この商品はNG成分がたくさん含まれている、だから×」
具体的な成分名はこのブログでは避けますが、この雑誌の考える「NG成分」があり、それが含まれていると、評価を落としているようです。
この雑誌の本音で評価しようとする部分は好きなのですが、このような判断は少し疑問です。
化粧品メーカーは化粧品のプロなのですから、「明らかにNGの成分」「入れない方がよい原材料」を入れるはずがありません。
仮に何らかのデメリットがある成分だとしても、それを上回るメリットがあるから入れるわけです。日持ちするようになる、肌への感触が良くなる、など。
そういった点を無視して、これはNG成分であり入っているだけでマイナス、と決めつけたり、反対にこれは有効成分がたくさん入っているからプラス、とするのはどうかな、と感じました。
何事にもプラスとマイナスがあります。
そのマイナスだけを見て減点するのではなく、プラスの面も見る。
商品開発にしても、社員教育にしても、同様ではないでしょうか。